笑いの宅急便 バックナンバー2



 1 爆笑する技術

腹の底から笑えてますか?
心理学の視点から笑いを撃つ








第七便 達人の時間感覚

 およそ達人と呼ばれるほどの域に達した人物というのは、我々凡人とは次元の違う時間感覚を自らの体内に有しているものである。笑いの達人とて例外ではない。笑いの達人の、時間感覚に関連するキーワードを思いつくままに並べてみよう。
 
 流れ、未来意識、循環、柔軟な時間意識、スピード・・・。

 この中で今日取り上げるキーワードは、「未来意識」である。
これは笑いの達人たちとの交流を通して、私が最近思いついた造語である。
笑いの達人と接していると、未来のビジョンがありありと思い浮かぶという現象を頻繁に体験したことからこの言葉を思いついた次第である。
 このキーワードの正確な定義は後でじっくり検討するとして、まずは、この不思議な意識状態を生み出す達人の意識構造の解析に取りかかろう。
まず第一にスカッと突き抜けた笑いを放つ笑いの達人は、ほぼ例外なく未来志向である。彼らはいたずらに過去を振り返ったり、過去にこだわることがない。

前例のない男
 「前例がございません」というセリフは笑いの達人的センスからは最も遠いところに位置する。笑いの達人と呼べるほどの域に達した者が、過去を参照基準にして、未来を選択することはまず有り得ない。過去を基準に未来を決めていたら昨日も明日も何一つ変わることがない。そこには無表情で単調な日々の繰り返しがあるだけである。世界を再生するほどの笑いのパワーは、そのような色気のない生き方からは生まれない。
笑いの達人にとって前例とは何であろうか?通常彼らは、前例などというものを気にかけることはない。そんなもんあったけという感じである。ましてや達人中の達人Y氏に至っては、「前例とは破るためにある」というアブナイ考えを抱いているフシがある。

今でこそ、コンサルタントという職業も認知されつつあるが、Y氏がコンサルタント業を始めたのは、日本人のほとんどがそういう職業があることすら知らなかった時代である。さらに日本人のほとんどがまだコンピューターというものを、見たことも触ったこともない時代から半世紀近くもコンピューターの研究を続け76歳のバースデーを迎えた今も、最先端のプログラム言語に精通し、ソフトを書き続けている人物というのも、あまり前例がない。
ともかくY氏のやること為すこと前例がないことだらけなのである。そう。笑いの達人とは「前例を知らない生き物」なのである。これは決められたレールに沿って生きることで安心を得るタイプの人たちからするとかなりオソロシイ存在に違いない。当然、Y氏が事を起こそうとするたびに周囲からは、猛烈な反対の声が湧き起こる。彼らは自分たちのアイデンティティを脅かす、こんなオソロシイ存在を許容するわけにはいかないのである。だが笑いの達人の側はそんなことはおかまいなしである。

達人の意識のベクトル
 笑いの達人が、周囲の騒音に無頓着でいられるのは、彼らが鈍感だからではない。逆に彼らはきわめて鋭敏な感受性を有している。とりわけ、未来のビジョンに対する彼らの感度の高さは特筆に価する。彼らが周囲の雑音に惑わされず、初心を貫けるのは、未来のビジョンが視覚的に描けているだけでなく、それをリアルに実感しているためである。
彼の意識のベクトルは常に現在から未来へと向かう流れにフォーカスしている。凡人は、過去と現在を起点にしてしか発想できないが、達人は、過去、現在のみならず、未来を起点にした発想も自在に展開できるのである。

 明敏な未来意識を有する彼らとって世界は新しい刺激と喜びに満ち溢れている。笑いは常に新しい。彼らが年齢に関わりなくフレッシュで若々しい頭脳を有しているのは常にフレッシュな笑いのアイドリング状態にあるためかもしれない。文字通りのアイドリングは、地球の温暖化を引き起こすが、笑いのアイドリングは、ココロの温暖化につながる。
 現在から未来に向かう笑いに対し、悲しみは過去の時間の流れに属する。新しい笑いはあってもフレッシュな悲しみがないのはそのためである。時には悲しむのもいい。達人の笑いは、悲しみを否定しない。彼の笑いには、悲しみをも呑み込む深みがある。達人の笑い声の中では、過去の悲しみと未来の希望が共鳴しあう。

未来意識
 喜び、悲しみ、希望・・・。私たちが日々体験する様々な感情は、私たちの体内を流れる時間感覚と密接に結びついている。悲しみは過去に、希望は未来に宿る。悲しみからの解放を願うなら、悲しみが閉じ込められている古い時間枠を解体し新しい時の流れを呼び起こすことである。
 固定概念が覆され新しい時間が流れ始める瞬間には、希望に満ちた笑いがこみあげる。その瞬間に私たちが感じているのは、「未来意識」の一部である。
 
 未来意識・・・。それはいかなる時代状況の下でも、決して希望を失うことのない笑いの達人の秘密が隠されたある種の意識状態を指す。笑いの達人への道の途上で私たちは何度も「未来意識」の臨在感を感得するであろう。
 やがてその感覚が、私たちの日常感覚と結びつき始めたとき、人は自らの時間感覚に変化が生じていることに気づかされる。
 その時、我々は自らが既に笑いの達人への道を歩き出していることを意識せずにはおれないのである。後戻りすることの出来ない笑いのシルクロード。その道は果てしなく、まばゆいばかりの可能性に溢れている。
                                                2004.12.17
                                             (第8便につづく)


 作者注・・・臨在感というのは、おそらく作者の造語です。臨場感が、現実に目の前にあるものと結びつくのに対し、臨在感は、未知のイメージと結びついています。ここではこれから目の前に現れるであろうことが、すぐそばにあるという感じを表すために用いています。


第八便 笑いのブレンド・・・笑いの質を決める二つの要素

 笑いが発生する要因は、大きく分けて二つある。ひとつはズレ、ひとつは一致である。もちろんこれは、明確に分けられるようなものではなく、実際にはこの二つの要素が笑いの中に微妙な配合でブレンドされていて、その配合が笑いの質を決定するのである。笑いのシルクロードの提唱する笑いの心理学において、このブレンドの分析はベーシックなツールである。
これは具体例を示すとわかりやすい。

 テリー伊藤がある大掛かりな詐欺のグループを取材するTVの企画でのこと。大掛かりな詐欺を仕掛け、お年寄りからお金を騙し取る詐欺のグループのリーダー格に対し、テリー伊藤が「そういうことして罪の意識はないの?」と問い掛ける。それに対し「そのくらいしなきゃ食っていけませんよ」と答えるグループのリーダー格の男。
そのビデオを観ていた爆笑問題の太田光は、「そう言われたらもう仕方ないですよね」とボケをかましていた。そこをすかさず田中が突っ込む。田中の突っ込みはお約束の「違うだろ!」

 太田のボケは、詐欺のグループの言い分に同調してみせることで、こうした犯罪が起こる背景にある時代状況、社会状況を暗に批判していることになる。もちろんその批判は、世間の「良識」を代表する田中の突っ込みによって瞬時にバランスが修復され、視聴者は安心して笑うことができる。詐欺グループに「イエス」と言うことで、社会状況に「ノー」を突きつけた太田のボケ。太田のボケに「ノー」を言うことで、健全な社会感覚に「イエス」を言った田中の突っ込み。
 
 このように、複数のズレ(ノー)と一致(イエス)が複雑に絡み合うことで笑いは発生する。そのうちズレの要素が強まると笑いの質は「オカシイ」ものに近づき、逆に一致の要素が強まると、「楽しい」あるいは「うれしい」笑いに近づく。笑いとはこのズレ(ノー)と一致(イエス)のせめぎあいによって発生する火花のようなもの。笑いの質を決めるのは、ズレと一致の微妙な配合の仕方である。

 笑いのシルクロードの追求する笑いは、この二つの要素のうち、一致(イエス)の部分を極限にまで高めることで、発生する笑いである。これまで笑いとは「笑う者」と「笑われる者」が共存して初めて成り立つ世界であった。そこでは、「笑う者たち」は笑われる者に対しオブラートで包んだ「ノー」とゆがんだ「イエス」を突きつける。それが伝統的な「おかしさ」の構造であり笑いの構造であった。

 これに対し一致(イエス)のみで成立する笑いは、「笑う者」と「笑われる者」の存在によって成立する笑いのシステムを乗り越える力を宿す。それは自律的で自分を取り巻くあらゆるものに対して「イエス」という意識から発生する笑い。そこには笑われるものもいなければ、笑うものさえも淡い痕跡を残し虚空に溶け込みそうである。静謐な美しささえ漂わせる笑い。この奇跡のような笑いのメカニズムを解き明かすこと。それは、人類に備わった笑いという感情の未来を左右する重要なテーマである。
                                                2004.12.24
                                               

☆特別便 2004年最後の日に

 2004年の締めくくりに、雪景色が見られることを一体だれが予想したろうか?
この日、私は中野から高円寺まで、自転車のタイヤの跡をつけながら、こんな大晦日が今まであったろうか?と記憶をたどっていた。
大井町出身の私は大井競馬場とも、馴染みがあるのだが、今ごろ大井競馬場にも、私の故郷の品川区大井町にも雪が降り積もっているに違いない。このような形で1年を締めくくることはこれまでになかったことである。
ロシア出身のヒョ−ドルとブラジル出身のノゲイラ。ブラジル出身のシウバと日本の金太郎、桜庭和志との対戦を待ちながら、2004年も終わりに近づきつつある。(この対戦は桜庭の負傷欠場の代理としてマーク・ハントが出場)
こんなことがあっていいのだろうか?
今年の終わりは身渡す限りの銀世界・・・。
今年1年を白紙に戻せと言うことなのだろうか?
 
1年の終わりが真っ白な世界というのは、なんともパワフルな話である。

ここでいきなり話は子供たちへと向かう。
雪景色をテーマにした作品で是非子供に読んでほしい作品がある。
『小さな町の風景』作者は杉みき子さん。出版は偕成社。杉さんは、日本のアンデルセンと言われた小川未明の後輩でもある。
 こんな日にはみなさんに是非『小さな町の風景』を読んでほしいものである。日本の精神性のルーツが理解できた・・・。こんな雪の日にこの作品に触れると誰しもそんな気になるかもしれない。
 2004年の終わりにこの雪景色の伝えたがっているメッセージに耳を澄ましながら・・・。

                              2004年12月31日

第9便 2004年最後の日に

 今年ももう終わりに近づきつつある。
雪も止みつつあるが、大晦日に雪が降ったのは、21年ぶりだそうである。
笑いの宅急便の配信が始まったのは2004年の後半から・・・。
来年はもっとペースを上げていきたいところである。

 前回のテーマはいかに「イエス」を言うかというものであった。
実存分析を創始した精神医学者ヴィクトール・フランクルに
『それでも人生にイエスという』という著作がある。
第2時世界大戦中ナチの収容所で極限状況を体験した彼が人生に対して出した結論。それは「イエス」であった。

人生に対して「ノー」を言うのはたやすい。自分自身に対してさえ、絶えず「ノー」を言い続ける人もいる。「どうせ私なんて」「どうせ無理」「できっこない」
これらは自分に対するノーである。

自分に対してイエスを言い続けるうちに、人は自分を受容することができるようになる。
イエスを言うにはある程度の勇気が必要とされる。

 自分に対してイエスということ。人生に対してイエスということ。
その「イエス」が育つうちに、自然に生まれる笑い。
2005年はそうした「イエス」から育まれる笑いを更に探求していきたい。

そのためにも今年の締めくくりに、2004年に対し「イエス」を言いたい。

「ありがとう」という言葉は、「イエス」という言葉と響きあう。
心の中で「ノー」を言いながら「ありがとう」という言葉は口に出せない。

ほんの一瞬でいい。今年最後の眠りに就く前に2004年という年に対し、そして自分自身に対し「イエス」と言ってみよう。
そんなシンプルな積み重ねが、笑いの達人への近道となる。

2005年は、笑いのシルクロードのゴール「笑いの達人」にさらに近づくことを祈りながら・・・。

                                 2004年12月31日
                                   (第10便に続く)



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