シルクロード夜話
望月 澄江

両肩のにぶい痛みに気づいたのは二、三日前のことだった。
(あれ・・・・おかしいなあ・・・・・)
自慢じゃないがわたしはめったに肩こりとか腰痛になったことがない。ごくたまにパソコンのやり過ぎで首肩がしんどくなることはあるが、そういう時も自分で全身の気をまわしていると自然に治ってしまう。
だがその日はいつもと様子が違った。
気をまわすと、その瞬間はすーっと楽になるのだが、やめたとたんに元に戻ってしまう。
それどころか時間を追うごとに痛みはひどくなってゆくような気がする。
わたしはひとりになると、静かに自分の体の内側に意識を向けた。
地面にずぶずぶと沈みこんでしまいそうな肩の重さをこらえて、さらに意識を下方におろしてゆくと、不意に熱く強烈な波動に触れた。
(えっ・・・・?)
その波動にもっと強く同調しようとした刹那、階下から響く子どもの声に強引に現実に引き戻された。
翌日、「流れ」をテーマに伊藤さんと話し合っていたときだった。
「最近、何か気になるキーワードはありますか?」
と、質問された。
わたしは昨日の肩の痛みをサーチしていた時に触れた波動を思い出した。
熱く、力強いエネルギー。
あれはわたし個人を対象にしたペインメーカーなんかじゃない。
間違いなく自然というエネルギーソースに繋がるものだ。
「ここ二、三日ずっと肩と背中が痛いんです。それが何かを伝えようとしている気がして仕方がないんですよ」
伊藤さんの瞳が何かをキャッチしたように輝いた。
「じゃあ、その痛みがどんなメッセージを発信しているのか見てみましょうか」
わたしは黙ってうなづいた。
痛みのロールを前方右の位置に決めると、わたしは呼吸を整えるようにその場にすわったまま静かに目をとじた。
ゆっくりと意識を肩の痛みに同調させてゆく。
肩という物理的に限定された領域からじょじょに意識を拡大してゆく。
するとしだいに「わたし」という個の領域の意識の輪郭がぼやけ、わたしをとりまく空気が微妙に変化し始めた。
(そろそろいいかな・・・・・)
軽いトランスにはいった状態でわたしはそっと立ち上がると、さきほど痛みをロールした場所に移動し、柔らかいクッションの上にゆっくりと腰をおろした。
そしてあらためて肩の痛みに意識を落としてゆく。
すでに透明な気体と化した意識は場の空気に共鳴しながら、さらに痛みの背後にあるものをとらえようとした。
それはふいに姿をあらわした。
わたしは意識を受信機状態にきりかえた。
次の瞬間、熱くうねるような強烈なエネルギーが胸いっぱいにひろがった。
それは突き抜けるような喜びと生命力そのものだった。
――歓喜・・・・!
胸の中に溢れてくる喜びが止まらない。
熱く激しく大地がのたうつ。
それはまるで大地の新陳代謝そのもののように、若々しくあふれるような生命力に満ちていた。
喜び!
雷鳴がとどろき、轟音を立てて大地が揺れる。
真っ赤な溶岩があたりを埋め尽くし、それでも大地の脈動はおさまらない。
激しい雨が叩きつけたかと思うと、こげ茶色の大地がみるみる濡れてゆく。
無数の命が生まれ、無数の命が死んでゆく。
それでも命は生きることをやめない。
なぜ気づかぬ?
これほどに愛されているのに?
人間もまた大地の一部。
大地が笑い歓喜に包まれるとき、ひともまた変わらざるを得ない。
生きろ
生きろ
生きろ――!!
心の深いところから歓喜が突き上げ、次の瞬間わたしは溢れるような大地の笑い声を聞いた。
長い沈黙のあとで、ようやくわたしは目をあけた。
とても長い夢を見ていたような気もするし、ほんの一瞬の出来事だったような気もする。
だがわたしははっきりと感じてしまった。
まぎれもなく大地は生きており、大地の鳴動は生命のもつ喜びの発露そのものなのだ。
そしてかれらはその大地に宿る生命を限りなく愛している。
古代から人間は自然とともに生きてきた。
大地が動くとき、古代の人間たちもまた自分たちの所属する部族社会が根こそぎ変動してゆくのを幾度となく味わったに違いない。
もちろん不幸にして命を落とす者もいただろう。
けれど同時に狭い枠組みから開放され、大地のもつ強烈なダイナミズムを全身で感じながら、新しい世界に飛び込んでいった者もいたのではないだろうか。
そうした勇気と柔軟な心をもった者だけが生き残り、ふたたび新しい文化を創っていった。
現代に生きるわたしたちはどうだろう?
大地は命そのものであることさえ忘れ、地球を乾いたアスファルトで覆い固めてゆく。
だが忘れてはいけない。
わたしたちの体の中には間違いなく大地と共鳴してともに生きる力が眠っている。
なぜならわたしたちもまた、地球の激動期を生きのび、今に繋がる遥かな道を創った古代人の末裔のひとりなのだから――。
*このエッセイは私の見たビジョンをベースに書いたものです。現実社会では、新潟中越地震の余震が続いています。さらには、原発のある福井での震災を懸念する声も聞こえてきています。こうした現実に起きている、あるいは今後起こるかもしれない深刻な状況から目を逸らすことなく、逆に現実の状況の深層を真摯に問いかける過程で現れた感覚をベースに綴ったものです。
現実に被災されている方たちの苦しみから目をそらす意図はありません。逆に今後起こりうるかもしれない事態に直面すべく自らを奮い立たせる意味で綴ったものであることをお断りしておきます。
2004.11.11