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伊藤雄二郎のさわやか系心理学






9感応する技術実践マニュアル・・・花に酔う、色に酔う

 

日本人の感応性

子どもたちへの国語の指導に関して日本で最先端を走っている「国語専科教室」においては、子どもたちに論説文を読ませる前に、まずファンタジーなどの物語に出来るだけ多く親しませる指導方針が貫かれている。この教室は現代のようにデジタル情報が重要になってきた時代においてこそ、言葉に対する感応的理解が重要であることを理解している数少ない場なのだ。

 

人間同士は言葉を通して会話をすることができるために、そのコミュニケーションの現場において、しばしば感応レベルの交流を軽視しがちになる。デジタル化された情報が重視される時代にはますますこの傾向は強まるであろう。だが、人間を動かす真の原動力は言語的交流よりも感応的交流の方である。今も、日本人同士の会話においては、言語情報以外のレベルにおいてデジタル化できない感応レベルでの情報が高密度でやりとりされている。

 

こうした感応レベルでの情報のやりとりに習熟するためには、感応的理解力を育てるしかないのだが、感応的理解力は「感応的交流」を通して育まれる。言葉との感応的交流の基礎力を育てる最短にして最良の方法は読書の愉しみを体験することである。

 

自然との感応的交流

海外で心理学を学んだ経験から私は日本人がきわめて感応度の高い民族であるという確信を抱くに至った。「感応的交流」というのは、おそらく私が勝手に造った造語だと思うが、日本人はもともと天地と感応する感性を持ち合わせた「感応する民族」である。

人間と自然との間では、人間同士以上に精緻な感応的交流が展開されている。私たちのよりよい未来を望むのであれば、このことを感応的に理解できる人間の数を減らしてはならないだろう。私がある時期から花の治癒力に注目しはじめた背景にはそうした事情もあった。

 

自然との感応的交流については、花見の時の感覚を入り口に話を進めると伝わりやすいかもしれない。花見というセレモニーを誰が始めたのかは定かではないが自然との交流を愛した日本人らしいユニークな風習である。花見といえばやはり日本酒でしょう。ワインやウイスキーを飲んでも花見の醍醐味は味わえない。花見という風習の中に日本人の独特な感性が滲んでいる。花見は天地との本格的な官能的交流の入り口に私たちを導いてくれる入門的な儀式ともいえる。

桜の木の下でお酒を飲むとなぜあんなにも気持ちが高揚し大自然との官能的な交流が起きるのか。春の花の放散するエネルギーと自らの生命エネルギーを交歓し、儚い一瞬と永遠が交錯するひとときに盃を交わすあの官能的な感覚はどこからやってくるのか?
おそらくは日本の自然そのものが、人間と感応しやすいやわらかな性質を備えているのであろう。

現代人は年々この感応的なコミュニケーション能力を失いつつあるように思える。私たち日本人は、今一度自らの得がたい資質である感応性を見直す時期に来ているのかもしれない。

 

感応する技術

私は出来れば1年中でも春の花とお酒を愉しんでいたいクチなのだが現実にはそういうわけにもいかない。そこで日常の中でもできる感応の技術をいろいろ開発しているわけである。

すぐにでも実行できる方法としてフラワーブリージングよりももっとシンプルで簡単な方法がある。この方法は天地との本格的な感応に向かうための基礎トレーニングとしても有効である。

これは街を歩きながら行う方法だが、歩きながら街中で目に付く暖色系の色・・・例えばピンクならピンクだけに注目しながら歩くというシンプルな方法である。留意事項も含めこの感覚トレーニングについて少し詳しく述べておこう。

 

色に酔う

この方法の基本は、道を歩きながら特定の色のみに注目することである。道端に花でも咲いていればそれに越したことはないが街角の看板でもすれ違う人の着ている服でもバッグでも何でもいい。ともかくピンクと決めたらひたすらピンク色のみに注目しながら歩くのである。
そうして歩いているうちに次第に選んだ色と自分の感覚をチューニングする感覚がつかめてくる。そうなったら、次に色に注目するだけでなく色が伝えてくるフィーリングに自分の気分を合わせていくのである。色の伝えてくるフィーリングと同調する感覚がつかめてくると次第に気分がピンク色に染まってくる。色のバイブレーションに感覚が合ってきた状態である。

先日、赤でこれを試してみたがビギナーには、いきなりの赤はちょっと強すぎるかもしれない。ツボにはまると脳内麻薬物質が分泌されてきて、見るもの、聞くものすべてが楽しく笑いを誘うものとなってくる。ナチュラルハイというかカラーハイというか・・・。なにやらハッピーな状態になってくる。

この方法は車を運転している時や自転車に乗っている時には行わないように。暖色系でハイになりすぎたら必ず鎮静作用のあるブルーやグリーンでバランスを取ること。ハマリ過ぎると現実逃避につながるので注意すること。やり過ぎないように色の適用量を摂取した際のバランスの取れた状態を体感的につかんでおくことが大切である。なんであれ過剰摂取は良い結果を生まない。色彩についても同じ事がいえる。色は、脳内麻薬物質やらホルモンやらの分泌に影響をもたらし私たちの心理状態や生理状態を左右する重要なアイテムである。大切に扱うべき代物なのだ。

ちなみに私の10倍は観察力の鋭い私の同居人によれば、大阪は看板や装飾に赤の占める割合が多く、東京はブルーや白、そしてなぜか名古屋は黄色が目立つそうである。それぞれの地域に住む人々のテンションと空間を占有する色彩の割合は何やら密接につながっているようである。

いずれにせよ色彩は使いようによっては私たちを強烈なトリップにいざなうパワーを秘めている。色のパワーとの上手なかかわり方がつかめてくると人工的な薬物はいらなくなる。ドラッグは屋上やベランダではなく脳内で栽培するにかぎる。お金も手間もかからないしリスクもない。

色との関わりは特定の色によって自らの感覚がどのように変化するかを丁寧に感じとることからスタートする。色彩は私たちの気分と密接に関連している。ブルーな気分から脱け出したい時にはバラ色に意識をチューニングすればいい。ちょっと沈んだ程度の気分なら簡単に切り替えられる。だが街角で純粋なバラ色を見つけるのは難しい。そんなときにはアサジョーリの考案したバラの開花が助けになる。イメージの中でバラを育てるのである。

 

そんな風に心の中に花を咲かせられる人々が増えてきたら日本も年中花見状態のおめでたい国になるだろうか・・・。

 

感応力と思考力

私は基本的に感応する民族である日本人のおバカでおめでたいノリが大好きである。しかし・・・。ある時期からこの純朴でおめでたい民族も、年中感応してばかりはいられないことを受け入れざるを得ない状況に立たされるようになった。

 

かつてこの純朴な民族にとっては、感応することも考えることも同じカテゴリーに属していたが、ある時期からこのおめでたい民族は自分たちの美点を守るためにも、いったん自らの特質である感応性と、考えることとを切り離す道を選ぶ必要を感じた。こうして彼らの感応性はいったん知性と切り離された・・・はずなんだが実際にはあまりできてないのが、今の日本の現状なんだよな〜。

 

そして今・・・。感応力と思考力はいったん切り分けられて磨きをかけられたうえで、連動させることで一層高度な働きをすることに気づいた人々が現れ始めた。来るべき時代に求められるのは、思考力と感応力を切り分けつつ連動させる技術なのである。速いなあ・・・。切り分けもまだ十分に進んでいないのに、もう連動とは・・・。とぼやきつつもそのための方法論の具体化に取り組む今日この頃である。

 

                        
                               2005,6,21


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