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伊藤雄二郎のさわやか系心理学






7 未来を開く言葉・・・・パート2

怪人荒川修作
 
 久々に腹の底から笑えるテレビ番組を観た。先日NHKで放送された「課外授業、ようこそ先輩」の荒川修作の特集である。荒川修作68歳、美術家にして思想家にして建築家。管理社会に適応した普通の大人たちを見慣れた子どもたちの目にスケールの大きい怪人荒川修作の姿はひときわ鮮烈に映ったようである。
 子どもたち相手の授業は、荒川の設計した岐阜の養老天命反転地で行われたが、そこがいかなる場所かをその空間を「体感」したことのない人に、説明するのは難しい。そう・・・。荒川の創る美術作品や建築は鑑賞するためではなく体感するために作られている。当人の解説では、その建築は「死なないために」創られたということになる。
 子どもたちが荒川のぶっ飛んだ思想にどこまでついて行けていたかは別として、未知の感覚を味わわせてくれる空間で、怪人荒川の授業を体験するうちに子どもたちの様子に確実に変化が現れているのが見て取れた。こんなヘンな大人がいていいんだ。こんなヘンなことを真面目にやってもいいんだ。そう悟ったとき、近代的なシステムの常識から解き放たれた子どもたちが、本来の生命感に触れイキイキし始めたのだ。
 

 荒川が子どもたち相手にまくしたてる。「みんな足の裏を見てごらん。平らじゃないだろ。床が平らな方がいいなんて誰が決めた。平らな床こそアブナイんだ」
 そういうオマエの方がよっぽどアブナイという突っこみを入れるいとまを与えないほど、荒川の勢いはスサマジイ。トイレに行くのに30分かかるような家を作るのだとまくしたてる荒川は、次第に子どもたちの気持ちを掴んでいく。
 そんな荒川の設計する建物は、バリアフリーの逆を行くバリアバリバリの建築である。家中段差だらけなのだ。荒川は高齢者ほどこういう家に住むべきだと声高に訴える。体を甘やかすのではなく、逆に絶えず非日常的な刺激を与えることで、心身が活性化するというのが荒川の考えである。
 そんな過激な思想を持つ荒川の講演を医療業界の人々が熱心に聴いているのには驚かされた。数年前までは、ヘンなオヤジのタワゴトくらいにしか受け止められていなかった荒川の言説が医療現場でも正面から受けとめられつつあるのだから時代の流れはオソロシイものである。
 
 未来を開く言葉と荒川修作
 さて、そんな荒川の思想と建築は、今、僕たちがやろうとしている「未来を開く言葉」の創造とどのように関わってくるのだろうか。これがきわめて密接に結びつくのである。話をわかりやすくするために、荒川のやろうとしていることのポイントを簡単に整理してみよう。荒川の仕事は多岐に渡っているため、単純な整理をゆるさないが、大まかなポイントを挙げると以下のようになる。
 
1、 荒川は知覚の自動化作用を警戒している。
 
 私たち人間は、想像以上に「固定観念」あるいは「思い込み」あるいは「自動思考」に支配されて生きている。与えられただけの運命から脱出し、未来を切り開く言葉を紡ぎだすうえで、この固定観念から脱却することの重要さは強調してもしすぎることはない。
 厄介なのは、人間は「固定観念」と言われる知的思い込みのみならず、身体的思い込みにも支配されており、それを自覚化するのは至難の技である。「固定観念」という知的思い込みを表す言葉は存在するのに、「身体的思い込み」を表現する言葉がどこにも見当たらないのは、この体の思い込みを自覚化するのがいかに難しいかを物語っている。
 私たちは知覚の及ぶ範囲をせばめることで現代生活に適合しているが、代わりに多くの代償を支払っており、自らがどれほどのものを失っているのかに気づくことすら困難な状況に置かれている。荒川の建築は、こうした日常性のまどろみの中にある身体感覚に揺さぶりをかけ、自動化された知覚の流れによって作られた固定観念と、身体的な思い込みとを同時にリセットする意図を持って作られている。

2、 荒川の建築は、人が未知なるものに対して自らを開くきっかけを与えてくれる。

 これは知覚の自動化作用と関わってくる問題である。実際は世界は驚異(wonder)に満たされたワンダフル(wonderful)ワールドなのだが、知覚の自動化作用によって目隠しをされているために、人が生活の中でそのことに気づくことは、ほとんど有り得ない。何かのきっかけで、自動化作用から脱却した瞬間、人は思い余って「感動」という言葉を口にしたりするのである。
 ちなみに“wonder”という言葉を辞書で引くと、フシギなもの、驚くべきもの、驚嘆を引き起こすもの、奇跡などとある。実は世界はそのままで奇跡的なものなのだが、知覚の自動化作用のおかげで私たちは支障なく生活できる代わりに目の前で展開している奇跡から遠ざけられている。
 荒川の仕事は知覚の自動化作用を自覚させることで、この原初のワンダフルな感覚を目覚めさせることを意図している。

3、 荒川は人間の中に眠れる野生を呼び覚ます装置を開発しようとしている。

  野生・・・ダイジですね。

 4、荒川は不可能性にチャレンジすることをいとわない。
 
  荒川は子どもたちに熱く語っていた。「誰もが不可能だということを可能だと言った奴が天才なんだ。だからオマエたちも天才になれ。」
 「できません」「そんなことは不可能」というのは簡単だが、そんなことばかり言っていては立派な大人になれません。
 子どもだけでなく現代人は何かをやる前に器用に言い訳をするのがうまい。これでは与えられた枠の中から、飛び出すことなど出来はしない。みんなが「不可能」と言うことを「出来る」と言い切ってしまうこと。チャレンジはそこからスタートするのである。

5、 荒川はキャラクターも仕事も誰にも似ていない。
 
 一人一人キャラが違うように未来を開く言葉の辿る道筋は、人それぞれまったくのオリジナルであるはずである。荒川も自分の後継者やコピーが出ることなど望んではいない。自分でレールを敷く方法を学びたければ、人の敷いたレールなどに構わずまず自分でやってみるしかないのである。
 そのためには、まず既存の認識の枠組みから自由な状態を作ること。アサジョーリ的に言えば脱同一化である。そのうえで、自分の実感にしたがって語り、行動すれば、誰にも似ていない自分のオリジナルが生まれてくるに違いない。

 6、荒川は自分が変であることを気にしない。
 「オレはオレをやっている。だからオマエたちもオマエたちらしくあれ」荒川の野太い存在感は子どもたちにそのことを伝えていた。自分が人と違って変ではないかなどと気にかけているようでは、未来へ向かう扉は開かれない。どうしても気になってしまう人は、人類はみな変態であるという基本的テーゼを思い起こすことである。

心理学の立場から見ると、荒川はまったく新しい心理学的方法論を提示したと言えるが、反転地の側からすれば、科学、哲学、心理学といったカテゴリー自体が新たな更新を必要としているのが見える。洗い出された体感が新たな言葉を生み出し未来を切り開く力を与えてくれる。

そのことに早く気づいた人がいちはやく未来の扉を開けるに違いない。時代はもうそこまで来ているのである。


                                                  2005.5.18


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