HOME  ミッションステートメント 笑いの宅急便 伊藤雄二郎のさわやか系心理学 活動報告&プロフィール  シルクロード夜話
リンク 近未来井戸端フォーラム
 

 



伊藤雄二郎のさわやか系心理学


14、 蘇る神話的ビート、パート3・・・むなしさの正体

むなしさの時代
現代は安定した社会的アイデンティティを維持し続けるのが困難な時代である。かつては職業や家族と連動していた社会的アイデンティティが、社会環境のスピーディーな変化や引退してからの時間の長さといった諸々の要因からうつろいやすくなってきている。

「私って一体何なの?」「私は何をしてきたかしら」「こんな毎日のくり返しに一体何の意味があるんだろう」
社会生活にも家庭生活にも意味を見出せずにさまよう現代人の心の内に潜むつぶやき。こうしたハッキリとした悩みとはいえない漠然とした無力感や意欲の低下に苦しむ人々は男女を問わず増えつつあるようである。現代は、まともな感性の持ち主ほどそんな思いにとらわれやすい時代である。

彼らの意識の基底を流れる気分を一言で表すなら「むなしさ」である。現代人の多くが生きているというたしかな手ごたえや実感がつかめないまま社会の中で浮遊している。成功者と見なされる人の中にもむなしさを訴える人は多い。一流といわれる企業に勤める人が、仕事を続ける意味を見出せずに苦しんでいる。心の中で口を開けるむなしさを埋め合わせるようにビジネスにマネーゲームにと没頭してみるが、むなしさからは自由になれないという人もいる。

一体いつから日本人はこうなってしまったのだろう?この状況に出口はあるのだろうか?

商品化される小さな物語

今はちょっと大きな街ならば必ずレンタルビデオ屋や漫画喫茶のひとつやふたつはある時代である。さらにはブロードバンド時代の到来は、誰もがいつでもたやすく虚構の物語世界に浸れる社会基盤を提供しつつある。ビデオ、コミック、CD、・・・。小さな物語が商品化されている。誰もが手軽に他人の作ったストーリーが容易に手に入れられる。

こうした小さな物語との触れ合いの中でも人はある種のカタルシス(浄化作用)を得ることはできる。だが、物語はますます小さく分割され大文字の物語は見失われていく。小さな物語との戯れの中である日人々はつぶやく。

自分は一体何をしているんだろう?と。

それはまともな感性の持ち主の多くが、心の奥底に密かに忍ばせているつぶやきである。

むなしさの正体

人は小さな物語を受動的に消費しているだけでは、むなしさから自由になることはできない。生きているという実感は、自力でストーリーを描き始めないかぎりは訪れることはないからだ。とはいうものの人はたった一人で自分だけのストーリーを描くことなど出来はしない。
個人の物語はそれを取り巻く社会の物語、さらにそれを取り囲む民族の物語、さらにはそれをも含む人類の物語、さらにそれをも包摂する地球の物語といった大文字のストーリーと結びつき共鳴し合う中で描かれ、その意味を明らかにするものだからである。
一人の人間の物語は多様なレベルの物語、歴史に取り巻かれながら展開する。
個人的神話・・・パーソナル・ミスは単独で存在するのではなく、無数の神話の断片と絡み合うようにして紡がれていくものなのだ。

それゆえにパーソナル・ミスの発見とは、自分だけの固有の物語の発見というよりは、自分の固有の物語と、それ以外の多様な物語とのかかわりを理解することなのだ。

現代人はこうしたあたりまえの事実を忘れさせようとする装置に取り巻かれて生きていかざるざるを得ない。そんな時代において「むなしさ」は我々にとってかけがえのないメッセンジャーなのだ。なぜなら現代において「むなしさ」とは人が自分を取り巻く人々の携えた小さな物語、さらにはそれらを包摂する大いなる物語と自分自身の物語を結びつけるための感覚が麻痺しつつあることを知らせる警告音として機能しているからである。
「むなしさ」はある意味、自分の周囲で展開する多様な物語、さらにはそうした無数の物語の断片を包摂する大文字の物語と自らの固有の物語を結びなおすためのアクションを起こす時期の到来を示しているともいえる。つまりむなしさは、自分のオリジナルな物語を生きるチャンスの到来を示す合図として受け止めることができるのである。


だが、いかにして?

いかにして人は多様な物語と共鳴し合える自分のオリジナルな物語を発見し、それを生きられるようになれるのだろうか?

                                             (2006、1、18)


伊藤雄二郎 さわやか系心理学 目次