さわやか系心理学







2 野生の知

二種類の知
 未来の事を知りたければ、子供たちの事を見ればいい。彼らは来るべき未来を担う人々である。その意味でも教育は現代における最も切実な問題の一つである。加速する一方の時代をなんとか生き抜くための智恵は切実に求められているが、具体的な方策はほとんど示されていない。多少のリスクは冒しても語っておくべきことはある。ましてや大人たちに比べ子どもたちがこの地上で呼吸する時間は確実に長い。大人たちがいなくなった後でも彼らがこの地上でなんとか生き抜いていくために必要とされる「知」についてそろそろ語り始めるべきなのだ。
 
 1980年代にヨーロッパのいわゆるポストモダンの思想潮流がブームになり、「知」という言葉がもてはやされたことがある。僕も言語学や文化人類学などに興味を持ち、ソシュールやロラン・バルトなどにハマッタ記憶がある。当時は、まだ社会システムもしっかりしているように感じられていたし、その手の「知」と戯れている時間も僕たちには十分に与えられていた。みすず書房から刊行された『物語の構造分析』あたりを小脇に抱え「重要なのは、テクストがどのように構成されているかではなくて、どのように解体されるかってことなんだよね」ってなことをつぶやいていれば女の子にモテそうな気がした。モテるためには、中国古代思想じゃなくてやっぱりフランス・ポストモダニズム。ある意味幸せな時代だった。

 時代は変わり今やモテるためではなく、生きるための「知」が必要とされるようになった。だが我々の生活と直結するはずのこうした知は、多くの場合十分な体系化が為されていない。しかも日本の精神史の襞に見えかくれするこの知の潮流は、あまり表だって語られることはない。だがこうした知の命脈は確実に存在し、時代が大きく変化する時どこからともなく現れ、人々の渇きを癒す。かつてこの「知」の伝統を担っていたのは、日常的に生命の危険にさらされるような危機的状況をくぐり抜けてきた人々である。こうした経験をした人たちが集中していたのは世代的に言うと、明治生まれくらい。僕から見ると祖父母にあたるくらいの世代的位置づけとなる。時代と共に「知」の文脈も変化する。

 知を担う世代が変わるにつれて、やがて古〈いにしえ〉の知は、忘れ去られていくことになる。人々が日常的に生命の危険にさらされるような体験から遠ざかる時代には、やはりそれなりの知が流行する。フランス系の知の流行を支えたのは、世代的にいうと僕より一回り上。母方の叔父さんあたりには、この世代にあたる人がいたかもしれないというジェネレーションの人々である。戦争を知らないこどもたちの走りの世代でもある。そして僕たちの世代は、明治生まれの人々の世代からこうした世代に至るまでの人々の生命の流れを間近に見続けた最後の世代である。

 今を生きる子供たち、そしてこれから生まれてくる子供たちのために、どのような種類の知をプレゼントするかの選択に迫られたとしたら僕はためらうことなく、祖父母の世代から受け継いだ知を選ぶだろう。学生時代に夢中になったヨーロッパ系の思想やら、アメリカで学んできた深層心理学にも、それなりの価値はある。そしてこうした知の担い手からすれば、僕が祖父母の世代から受け継いだ遺産が知と呼ぶに値しないものと見なされていることも理解できる。にも関わらず僕はこれから生まれてくる子供たちへの贈り物として、この「古〈いにしえ〉の知」を選ぶことにためらいはない。なぜだろう?それが今回のテーマである。

サバイバルの知
 僕の少年時代、僕の兄貴や叔父貴にあたる世代の人たちのほとんどは、僕たちの祖父母たちが携えていた智恵を「知」として認識するようなコードを持ち合わせていなかったらしい。彼らにとっての「知」はマルクスであれフロイトであれニーチェであれ、ヨーロッパ経由でやってくるものであったからだ。

 だが、僕にとってはちょっと事情が違っていた。子供ながらに祖父母にあたる世代の人々の秘めた知の体系に触れ、未だに彼らの魂の息吹のようなものを感じる僕にとって、祖父母たちの携えた生きるための知こそが正真正銘本物の知に感じられた。それは躍動する生命感覚みなぎる骨太の知、いわば「野生の知」だった。ヨーロッパ生まれの理屈をこねまわしゲバ棒を振り回していた兄貴や叔父貴たちが自分たちの過ちに気づき、おとなしくなり始めた時代に、僕は祖父母たちからこの「野生の知」の手ほどきを受けていた。祖父母たちが伝えてくれたこの「野生の知」は、これまで人生の様々な局面で僕を助けてくれた。そしてこれから先の見えにくい時代を生き抜く子供たちにも、この知は確実に役立つはずである。

 この知を担う祖父母たちは僕に、自分の身体に合った食べ物の見分け方や、死ぬまで働ける身体を作る方法を教えてくれた。もともと身体が丈夫な方ではない僕が、ここ20年以上医者にかからずに済んでいるのは、彼らから自分の身を守る方法を学んだおかげである。彼らは身に迫る危険を事前に察知する方法や就職などしなくてもなんとか自力で生きていけるための智恵を培う方法を教えてくれた。果ては病気になった時なんとか自力で治す方法や、どうしても助からない場合は苦しまずにあの世にいく方法まで教えてくれた。生きることが困難な時代には、生きることに必死にならざるを得なかった人々によって育まれてきた知が育つ。彼らが僕に教えてくれたのは、時代的文脈がどれほど変化しようとも何とか生き抜いていくためのサバイバルのための智恵だった。

20世紀の珍獣たち
 21世紀の平成日本ではあらゆるものが平準化され、均質化され我々の想像力を刺激してくれる珍しい人間には滅多なことではお目にかかれない。これに対し昭和の日本には一般人の常識的な尺度では推し量れない珍獣とでも言うべきイキモノがゴロゴロしていた。そしてこの珍獣の中には、今では考えられないようなスケールのとんでもないモンスターも潜んでいた。僕が最初に「野生の知」を学んだ師匠もこうした怪物的人物の一人だった。

 最初にこの老人のことを知ったのは、僕が中学生の頃。その当時既に彼は80歳近かった。この老人はその少し前までは、いわゆる難病奇病を患った人たちを専門に治療する療術家として活動していたようである。当時もまだその名残があり、ガンや脳性麻痺といった現代医学では治らないと言われていた患者たちが彼の道場に出入りしていた。彼は病気治しの腕は確かに優れていたが、悩める人々を救おうと真摯に求道の道を歩む慈悲深い聖人などではなかった。

 それよりも彼のもっぱらの関心事は日々を楽しく遊んで暮らすことだったようである。そんな彼の実生活におけるエピソードも笑える話しばかりだった。例えばこの老人がバーで酒を呑むときの話し。ともかくこの人は大酒呑みだったが、酒の種類や銘柄など何もわかっていなかった。そこで、バーの棚に並んでいる膨大な数の洋酒を端から順番に一杯づつ呑んでいく。その調子で棚に並んでいる酒を一通り呑んでしまうと今度は逆戻りしてさらに一杯づつあおっていったという。

 こんなデタラメな飲み方をしていると当然酒代が足りなくなる。その時この老人、ホステスの一人を呼んでその場で彼女の患っている病名を言い当てる。大抵は、腰痛や肩こりや便秘といった、マイナーな症候であったようだ。そこで彼は自分の身分を明かし、交渉に入る。実は酒代が少しばかり足りない。その代わりあなたの病気をこの場で治してしんぜよう。その治療費を不足した分の酒代と引き替えていただくわけにはまいらんか・・・てなぐあいである。交渉が成立すると、2階にあがり施術を施し、そのあと再び呑み続けるというなんとも滅茶苦茶な話しである。

 大酒飲みで喧嘩好き。そのくせ病気治しの腕だけは図抜けていたごきげんなじーさん。それが当時の彼の実像に近かったかもしれない。実際彼は人間性のはらむ最も卑俗な部分と最も崇高な部分の双方を兼ね備えていた。謝礼を1銭も要求せずに重病人を完治させたかと思えば法外な治療代を請求して裁判沙汰になったこともある。子ども心にこのじーさん信頼していいんだかどうなんだかと半ばあきれていたのを覚えている。

  だが、何度かこの人ただ者じゃないと思ったこともある。例えば家族と一緒に商売をしている人物がこのじーさんの下に相談にやってきた時のこと。話を聞いてみると明らかに息子の意見の方が正しい。ところが父親は昔ながら頑固者で息子の意見に耳を傾けようとしない。そんなある夜、父親の夢枕にくだんのじーさんが顔を出す。そしてこってりと説教をかますのである。父親としても夢の中にまで追いかけて来られて説教をくわらされるのはかなわないから考えを改めざるを得ない。

 みなさんはこうした現象を単なる偶然と片づけるだろうか?信じられないことだが、このじーさんはこの手のことを意図的に引き起こせると公言してはばからなかった。彼はおそらく無意識という言葉さえ知らなかったと思うが、この領域にアプローチするためのある種のテクニックを有していたことだけは確かなようだった。

身体という謎
当時十代の少年だった僕は彼が時折見せる常識を越えた様々なパフォーマンスはああいう滅茶苦茶なキャラの人間にしか出来ないと思っていた。だが、後に世界各地を放浪する過程でたくさんの「野生の知」の担い手と遭遇するうち、彼が所有していた知と類似性を持つ知の体系の担い手がこの世には思ったより大勢存在することを知った。そして彼らの多くは、人格的にあのハチャメチャな老師より遥かにまともな人たちだった。彼らに共通して言えるのは、人類共通の謎である自らの身体と真摯に向き合っているという点であった。

 中でも印象深かったのがニューヨークのチャイナタウンでマスター・グーという太極拳の達人と会った時のこと。この時マスター・グーは96才という高齢だったが、まだまだ現役ばりばりだった。こういう人物をいきなり訪ねていっても指導など受けられるわけもないのだが、その時はある中国人女性の紹介で幸運にも教えを受けることができた。中国人の中でもとりわけ華僑のような人種は熾烈なビジネス社会を生き抜くためにこうした知の研究に余念がなかった。マスター・グーも若い頃中国全土を放浪し、大陸のなかでバラバラになっていた野生の知の伝統を懸命にかき集めたのだという。この時は太極拳と呼吸法の指導を受けたのだがその時の教えの中に僕はくだんの老師の教えとの類似性を数多く発見することができた。中でも呼吸法の際の印の組み方がまったく同じだったのには少なからず驚いた。

 印というのは、指で特定の形を作ることである。みなさんもテレビドラマや映画で忍者が指で独特の形を作るのを見たことがあると思う。それが手印と呼ばれるものだが、僕はくだんの老師から印の組み方を習うことでその意味あいを初めて理解することができた。指の組み方ひとつで呼吸の質がまるで変わってしまうのだ。彼はこの印の組み方は、これまでになかった独自のものだと豪語していたが、マスター・グーとの出会いによってそれがまったくの口からでまかせであることが判明したのである。

 この種のまやかしめいたエピソードは、こうした知の伝承にはつきものなのだ。だからといってこの知の伝統のすべてがまやかしだというわけでもない。したがって僕らは、こういった知の伝統のどこに本質があるかを見極める眼力を磨く必要がある。これから我々が通過するであろう時代は、僕たちの祖父母たちがくぐり抜けてきた時代とは質の違う困難を抱えた時代となるであろう。したがって、祖父母たちの伝えてくれた智恵をなぞる単なる復古主義では、これからの時代を生き抜くにはやはり十分ではない。求められるのは、こうした知の断片を自らの細胞で咀嚼して近代的知と照らし合わせながら、自らの中で熟成させること。

 生命現象の本質に最も近い所にある野生の知。その本質を知るには、我々は自らの体感を十分に開いてこの知に接することを求められる。この知の伝承に興味のある方はご連絡いただければ、細々とこの手のことを伝えているグループの案内をお知らせします。

 ※NTMU(発行:NPO法人れんげ舎)「伊藤雄二郎の笑える心理学」に掲載した内容を加筆修正したものです。  れんげ舎 http://www.rengesha.com/ 

 

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