笑いの宅急便 バックナンバー6



  2 笑いのシンフォニー

腹の底から笑えてますか?
心理学の視点から笑いを撃つ








第28便 誕生伝説

この世での新たな生を与えられたばかりの新生児は、
みな両手を握っている
小さな掌には、

これからの
人生のすべてが握りしめられているという

ところがこの世にやって来て
握っていた掌を開いた瞬間に
握られていた人生が世に放たれてしまう
その時に手放してしまった人生を
再び手にするために
人は自分の足で歩み始めるという

遠い昔、誰かに聞いた
美しいお話

赤ん坊は
泣きながら
涙を流しながら生まれてくる
歓喜、恍惚、怖れ、不安、痛み、孤独、至福
生きることに伴う
あらゆる情動が
体中のエネルギーのすべてを
振り絞るほどの
激しい泣き声に
まざりあう

その聖なる瞬間に

シマッタ
笑いながら生まれて来て
笑いを取ってやればよかったと
深く悔やんだ魂がいたという
その後その魂は
永い年月を経て
幾多の転生を繰り返し
輪廻の秘密を悟り
何度目かに生まれ変わるその瞬間
本当に
爆笑しながら誕生してきたという

そんなひょうきんな魂が
本当に存在したら
ちょっと笑える

                         2005.3.7
                         (29便につづく)

29便 笑いにおけるキレとコク

「すべての仕事は売春である」
岡崎京子さんが“pink”のあとがきで言っていた

「それをそうと思ってる人、知らずにしている人、知らんぷりしている人、そ
の他などなどいますが、繰り返します。
“すべての仕事は売春である”」と

気づくことは傷つくこと
気づきたくない事実に気づいてしまったら・・・

感覚にふたをして
意識を鈍らせて
大人のふりをして
なんとか日々をやり過ごすか・・・
それとも・・・

シャープで鋭敏で
物事の本質をつかみ得る精神は、
時として痛みに耐え得る強さを試される
このまま偽らずに生きる覚悟はあるのか?・・・と

痛みを怖れない
透明な感受性は
闇と向き合い
モンスターと対峙することが
モンスターを退治することだと
一点の曇りもなく理解している


たとえすべての仕事が売春であっても
感覚を鈍らせることなく
鋭く目覚めたまま
役割を果たすことができる

conscience(良心)という言葉は、
conscious(意識)という言葉から生まれたといわれている

鋭敏で意識的であること
意識を曇らせないことで
痛みを乗り越える

そんな感覚と結びつくのが
キレのある笑い


岡崎京子さんは、
同時にこうも言っている
「すべての仕事は愛でもあります」


もろく繊細でありながら
痛みを痛みとして感じきれる
花のような強さがあれば・・・

生の強烈さに身をさらし
痛みと喜びを同時に感じとり、
天国と地獄に同時に触れられるかもしれない


感覚を全開にして
痛みも喜びも
鋭敏にキャッチする

もろくやわらかく
そして強い
研ぎ澄まされた感受性は、


花のように
生命を燃やし続けることで
痛みを燃焼させる

そんな感覚の時に
発生するのが

コクのある笑い

     2005.3.9
     (30便につづく)

30便 戦士の笑い、恋人の笑い

 “人は痛みを感じることができる分、
喜びも感じられるようになる”

1970年代にアメリカの若者の間で
広く読まれた“Prophet(預言者)”という詩集の一節である

痛みを避けるために
鈍らされた感性は、
刺激を求め
次々と
新しいドアをノックするが、
心の底から楽しめず
腹の底から笑うことはない

「痛み」という字の「やまいだれ」を「しんにょう」に変えると
「通る」という字が現れる

つまり痛みは通り道

そこを通過することで
人は生の新たなステージへと向かう

意識を明敏に研ぎ澄まし
痛みを乗り越えるのは戦士の道

感覚を開き
痛みを感じつつ燃やし尽くすのは恋人の道

それぞれの感性に伴う
それぞれの笑い
戦士の笑いと恋人の笑い    
                                    2005.3.15
                                  (31便につづく)            

31便 アマテラスとアサジョーリのデート

フロイトとユングが
スサノオとの間でスサマジイ闘いを繰り広げているその最中
アマテラスとデートに出かけた男がいたという
その男の名はロベルト・アサジョーリ

嘘のような
つくり話

だがアサジョーリならやりかねない

フロイトが探求した下位無意識のみならず
中位そして上位無意識の可能性を
アサジョーリは気づいていた

下位無意識がスサノオなら
上位無意識はアマテラス


“深淵に見入る者は深淵に見入られる”
ニーチェの遺した言葉である

フロイトもユングも
深淵に魅入られし者

彼らの目にはスサノオは、
アマテラスよりも魅惑的に映る

目もくらむ底知れぬ深淵
その闇は
時として抗しがたいまでの力で
旅人に誘いかける

深淵には影が
謎がうごめく
地上は平凡で
神秘のかけらもない

そう思いスサノオに魅入られた
旅人たちは
深淵へ、ひたすら深淵へと向かい
深遠なる世界をさまよい続ける

その一方
アサジョーリの慧眼には
地上的で平凡なものの中にこそ
偉大な謎が隠されていて
すべてを照らし出す
光の中にこそ
偉大な神秘が隠されているという
普遍的な真理が映し出されていた

彼は知っていた
アマテラスが変容すれば
スサノオとアマテラスの関係に
変化がもたらされることを

同時に彼は知っていた
意識の中心にとどまることで
生(エロス)と死(タナトス)の両極まで
拡大し得る意識の可能性を


ニーチェは言っている

空に届こうとする
一本の樹木
その枝が
天に向かって伸びれば伸びるほど
その根は
地中へ、下へ、暗い深みへ・・・悪の中へと
下降して行く
そうして初めてその枝が
天に届くのだと

アマテラスと出会うためには
スサノオの事を知る必要がある

スサノオの変容を望むならば、
アマテラスにも目を向ける必要がある


存在の両極を受け入れることで
人は地上に
天と地の中心に
笑いながらとどまることができる

サイコシンセシスの伝える
宇宙的スケールを持つユーモアとは

エロスとタナトスを
光と闇を
存在の両極を
包み込む

神々の笑い

宇宙開闢以来
響きつづける

否定も肯定も超えた
命の笑い
                          2005.3.19
                         (32便につづく)

第32便 薔薇の瞑想術 

アサジョーリが伝えようとした
美と笑いの感覚を
子どもにも伝えたかったら
バラのイメージングがいい

まだ蕾の状態のバラが
ゆっくりと開いていく
その過程を
想像の中で辿っていく

花弁のやわらかさ
色の美しさ
香り高さ

バラの生命のエキスを
自分の感覚で
感じ取り
イメージの中に描き出す

アサジョーリは
自らの思想のエッセンスを伝えるために
ロジックのみならず
物語やアナロジーやシンボルを
好んで用いた

デジタルで表現されるロジックなら
一度理解されれば
それでオーケー
反復の必要はない
それはマニュアル化が効く
ビジネスやテクノロジーに応用できる

その一方
多様な意味を内包する
アナロジーやシンボルは
時として汲めども尽きせぬ叡智の源泉となる
それはマニュアル化が効かない
人は自分の足で歩み
イメージの中に分け入って
アナロジーやシンボルの伝える
感覚を確かめるしかない


それゆえにアサジョーリは
未知の感覚を伝えるために
アナロジーやシンボルを巧みに活用した


彼は言う
「それ」はバラが開くようなフィーリングだと

彼の言う
未知なる「それ」を理解するために
人はバラが開くフィーリングを自ら体験することを求められる

誰も知らない未知の感覚を
バラの花のような
誰もが知っている素材に込める
それがアサジョーリ流のコミュニケーション術

彼の遺したバラのアナロジーは
未知なる感覚へ近づく通路となり
私たちの中の既知と未知をつなぎ
“未知”を“道”に変えてくれる


イメージの中のバラが伝えてくれるのは
新たな生命が開くときに
放つ
色と香りのバイブレーション
やわらかで
香り高い笑い
                        2005.3.23
                        (33便につづく)

第33便 フラワー・ブリージング・・・・花の呼吸術 パート1

 花のエッセンスを呼吸する
 薔薇の蕾が開花するまでの過程をイメージの中でゆっくりと辿っていく。こんな美しい技法が体系化されているのは数ある心理学の技法の中でもサイコシンセシス(統合心理学)くらいのものである。アサジョーリは美が人を癒し、人を変えることを深く理解していた数少ない思想家であり実践家だった。   
 
 アサジョーリはある特筆すべき才能を備えていたという。彼は彼のもとにやってくる人々の表面的な苦痛や混沌、敵意や不安をくぐりぬけ、それらの背後に隠されたその人間の本質的な肯定性に到達することができた。一人の人間の核心を射抜く鋭くかつやわらかなまなざし。それが彼の類稀な能力の源泉だった。その能力のために彼に語りかけられた者たちは、自分たちの内にある最高のものに向かって語りかけられていると確かに感じたのである。
 
 アサジョーリは目の前の生物や無生物の中の最高の要素を引き出す資質に恵まれていたのだ。もしも教育者たちがそんな才能を備えていたら世界は確実に変わる。だが当人自身すら気づいていない潜在的な能力や資質に気づかせるというのは並の才能ではない。なぜアサジョーリにだけそんなことが可能だったのだろうか?彼の並外れた見識の広さと視点の高さ、そして笑いのセンスがこうした資質に影響をもたらしていたのは言うまでもない。
 
 ヨーロッパの知識人にとって数か国語を操るのは珍しいことではないが、それは大抵の場合ヨーロッパ圏の言語に限られている。イタリア語、フランス語、ドイツ語といったヨーロッパの言語にとどまらずサンスクリット語までマスターしていたというのは、やはり尋常な語学力ではない。異言語を理解することは、異文化を理解することに繋がる。多様な文化を高い水準で理解していた彼の視野の広さが、フロイト、ユングといった同時代のヨーロッパの知識人の比ではなかったことは容易に想像できる。
 
 だがアサジョーリの本領はこうした視野の広さよりもその比類なき視点の高さにあった。視野の広さは情報量でもある程度はカバーできるが、視点の高さは情報の量だけでは決して獲得できない。アサジョーリがなぜそこまでの視点の高さを維持し得たのかは、私にとっても長い間謎であった。
  
 何年もかけてアサジョーリの遺したエクササイズを忠実になぞり、イメージの中の花々に何度も会いにいくうちに、アサジョーリの伝えようとしたメッセージがおぼろげにではあるが感じ取れるようになってきた。彼は植物の備えたほとんど神秘的なまでの癒しの力やメッセージの伝達力を、当時既に理解していたのかもしれない。
 
 生命の秘密を知りたければ花に訊くがいい
 
 アサジョーリの遺した技法体系からはそんな彼のメッセージが伝わってくる。
花畑の瞑想家アサジョーリは自らの思想の核心を、花々に託して伝えようとしたかのようにすら感じられる。
                           2005.3.30
                          (34便につづく)

※ ito@waraimagic.comにメールをくださっていながらまだ返事が届いていない方々がいたら、お手数ですが再送していただけますでしょうか?今、メールボックスに残された1,000通ほどのメールと格闘しており、そのうち何通かのメールを紛失してしまったようです。申し訳ありません。

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